地方自治法第74条が定める規定数(1万732筆)にわずか226筆及ばず、住民投票を求める請求文も条例案も提出できなかった今回の運動。「悔しい」という声をたくさん聞いたが、その一方で、「自分は何もできないと思っていたけど、みんなと一緒に動いていたら署名をたくさん集めることができた。やればできるんだと思った」「船橋をこのままにしていてはいけない。諦めずにまたやりましょう」など、自己肯定感、責任感、未来を変えなければという強い意志を感じる言葉もたくさん聞いた。むしろ後者の方が多い。
8月から事業の問題点を訴える街頭スピーチ(リレートーク)を始めた。大きな横断幕を広げ、駅前で、ショッピングモールで、問題点をよく知る市民たちが大汗を書きながら声を張り上げた。これで事業の存在を知った市民も多かったのではないだろうか。市内全域で行われたこうしたスピーチでは、1時間ずっと足を止めて聞き入る市民の姿がしばしば見られた。
10月3日の受任者説明会には約70人もの人が来場し、入りきれなくて帰る人もいたほどだ。会場は熱気に包まれた。
その日の夕方から、街頭スピーチとチラシ配りをしながら署名を集め始めた。「住民投票を求める署名実施中」と書かれた水色ののぼりが風にはためき、初日は船橋駅北口だけで1時間で30筆もの署名が集まった。幸先の良い滑り出し。
私たちにとってスピーチは、ストレス解消にもなった。なぜなら「今こんなにひどいことが起きていることを、みんなに知ってほしい!」という強い思いが解消できたからだ。
気が付けば運動に加わってくれる市民がどんどん増えていった。船橋駅前では頼まなくてもチラシ配りのお手伝いの市民が集まってきた。事業について独自に勉強し、オリジナルの資料を作って街頭で署名を集める人も出てきた。「署名簿が足りなくなったから、もっと送ってください」という電話も入るようになった。
振り返ると肩越しにたくさんの市民が一緒に走っているのが見えた。本当にそんな印象だった。だから楽しかった。
そして実現した、1カ月で1万506筆という署名。「よく集まったね」「すごいね」。あちこちでそう言われた。10月の初めには、事業の存在を知らない市民が大多数だったことを思えば、確かにこの数字は奇跡に近い。
「住民投票を勝ち負けで考えたらあかん」
私たちが住民投票をやると決めた時、徳島市の「吉野川の可動堰建設計画の賛否を問う」住民投票事務局にいた方にこう言われた。
「住民投票を勝ち負けで考えたらあかん。住民投票は世論を起こすためのものや」と。
吉野川の可動堰は有権者の過半数の署名を集めながら市議会で条例案を否決され、投票に至らなかった。でもこれではいけないと思った市民たちが立ち上がり、まず可動堰反対派の市議会議員が何人も生まれ、続いて反対派の市長が誕生した。そして可動堰建設計画は止まった。
自治体問題研究所元理事長の岡田知弘氏(京都大学名誉教授)は著書『住民投票の手引』のなかで、住民投票の意義を次のように述べている(要旨)。
「住民投票は決して(対象事項について)〇か×かを選択するだけのものではありません。それを行うとどうなるか、住民自身が多方面から検討し、学習し、考え、議論し合う。したがって住民投票を求める運動は、必然的に地域づくりの運動(住民自治)に繋がっていくことになります。住民が自らの手で地域をつくることによって、この国の未来の姿も創造されていくのではないでしょうか」
今回の運動を通して、船橋にも住民自治の意識が萌芽したと感じているのは私だけだろうか。1万人を超える人々の多くは、単に事業を止めるだけでなく、船橋の未来はどうあるべきかについて考え始めている。私たちは負けたのではない。逆に大きな財産を手に入れたのだ。このエネルギーを次に生かさなければならない。(山田素子)
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「ふなばしメディカルタウン構想の賛否を問う」住民投票を求める署名活動
■署名収集期間/2023年(令和5年)10/2~11/2(署名簿印刷の関係で10/3~開始)
■収集署名数/1万506筆
■街頭スピーチ(リレートーク)実施日と場所/8/17~9/22 10/3~11/2 市内24カ所
■署名協力店/5店
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